クルーグマン:構造改革は問題のすり替えにすぎない

ポール・クルーグマン教授がいら立っている。
世間が構造改革を議論したがるのが気に入らないのだ。

構造改革はすり替えにすぎない

有害な長期主義」と題したNY Timesのコラムでは、ケンカ好きな教授らしく、口汚く論敵たちを罵っている。

現在の経済を議論する上での長年の悩みのタネは、私が「長期的」によるごまかしと考えるやり口だ。
このやり口は、議論の対象を失業や需要不足から教育・構造改革という、より根源的と考えられる課題にすり替えてしまう。
そうした問題のすり替えは、間違いであるばかりでなく、卑怯なことだ。

クルーグマン教授の言いたいのは、それが短期的であろうが長期的であろうが、危機があるなら対処せざるをえないということのようだ。
そして、構造改革の必要性を認めながらも、短期的問題として雇用や需要不足を匂わせている。

切迫した米国の事情

この焦り度合いについて日本人が肌身にしみて感じるのは難しい。
日米では社会の歩みが異なり、政府の大きさが異なり、貧困層の厚みが異なる。
日本にも貧困の問題はあるが、日本の貧困は再分配によって対応できなくもない。
米国の場合、再分配のパイプは細すぎる。
したがって、需要を増やし、雇用を増やし、賃金を増やし、再分配前の分配の段階で手当てをせざるをえない。
中流以下が地盤沈下したままの米社会では、その救済が待ったなしなのだ。
クルーグマン教授は

もしも需要不足があるならば、(それは趨勢的停滞の議論であるが、)需要を促進する方法を考えるべきだ。

とも書いている。
これは、もしも需要不足があるとすると、それが趨勢的(長期的)なものと認識していることを示している。
つまり、問題の根源が長期的なものであろうと、短期的な解決策を考えざるをえないと言っているのだ。
需要を長期的に維持可能な形で持ち上げるには構造改革が必要なのかもしれない。
しかし、それを待っていたら貧困が深刻化し、多くの人が命さえ落としかねない。
そうした切迫した思いを表しているのだろう。

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