コチャラコタ:マイナス金利に必要な対話と現金への課金

緩和強化は経済政策のバランスを損なう

貨幣経済において人々は(気づいていなくとも)安定的な通貨から大きな恩恵を受けている。
現金に高率の課金をして喚起される投資・消費は、人々の幸福を効率的に向上させてくれるのか。
無駄な投資・消費は、その経済主体の破綻をもたらすだけだ。
それを知っている賢明なる家計・企業は金などの実物資産に一時退避するのだろう。

幸い金融政策のハト派は急速にプレゼンスを失いつつある。
リフレで中央銀行内にポジションを得た者は心安からぬ日々なのだろう。
それ以外の中央銀行家はほっとしているのだろう。
中央銀行の外にいるリフレ派は、今やケインジアンに鞍替えだ。
金融政策のハト派は金融政策を見限り財政政策のハト派に衣替えしたのである。

生き残った金融政策のハト派が、マイナス金利を深堀りしようとしている。
その努力は尊いものとしても、全体の中での重みづけは別の話だ。
経済政策は、手法ごとの軽重のバランスをうまくとらなければいけない。
マイナス金利を深掘りしたいがために現金保有に課金するというようなことが、本来の目的にかなうものか、よくよく考えるべきだ。

社会実験は他にもあるはず

マイナス金利は本来は有望な手段であったと思う。
しかし、中央銀行ほかの経済主体がバランスシートを拡大した今になってはリスクも小さくない。
どんどん社会実験の範囲を拡大していくよりは、異なるカテゴリーの意思決定を優先させるべき時がきている。
日本にとっての異なるカテゴリーとは、

  • 構造改革という社会実験
  • 循環的景気変動を無理に平準化しないという社会実験
  • 緊縮という社会実験

などであろう。
票が買えないからという理由でこうしたアプローチを回避するのでは、いつまでも日本経済は浮かび上がれまい。

(出典)
1) Narayana Kocherlakota, Bloomberg (6/9/2016), 「Negative Interest Rates Are Nothing to Fear」, http://www.bloomberg.com/view/articles/2016-06-09/negative-interest-rates-are-nothing-to-fear (参照6/10/2016)