【書評】連続講義・デフレと経済政策 アベノミクスの経済分析 (3)

さらにこの本は、実務家には思いつきにくい視点を経済学の観点から教えてくれる。
いくつか例を紹介したい。

Paul Krugmanの「無責任になる約束」

池尾教授はクルーグマンの1998年の論文「It’s Baaack! Japan’s Slump and the Return of the Liquidity Trap」(邦訳あり)を紹介する。
クルーグマンと言えば、アベノミクスを賞賛した(?)と言われたリフレ派のノーベル賞学者である。
この論文でクルーグマンは流動性の罠にはまると金融政策が不能になると書いている。
その例外として、

もし中央銀行が「無責任になることを信用できる形で約束」できるなら、つまり市場に対して、価格の十分な上昇を本当に許すと説得できれば、それは経済をブートストラップして流動性トラップから引き出せる

と書いている。
池尾教授は明示的に書いてはいないものの、「無責任になることを信用できる形で約束」できる人材として、黒田総裁、安倍首相とリフレ派の内閣参与らが適任とあてこすっているように感じた。
ちなみに、クルーグマンはアベノミクスについてNY Timesに書いたコラム

皮肉なことだが、
もしもかなり悪いやつが全く間違った動機に基づいてやれば、経済学的に正しいことを実行することになる。
一方、いい人たちはいい人であることが決定的であるために失敗してしまう。
でも、それは1930年代にも起こったことだ。

とした。
クルーグマン教授はアベノミクスに間違いはないとしながら、それを行っている人たちを

a pretty bad guy, with all the wrong motives
訳: かなり悪いやつが全く間違った動機に基づいて

と書いていることになる。
池尾教授は、白川前日銀総裁を「the good guys」の典型と見ているようだ。

貨幣発行益の枯渇

政府・中央銀行は通貨を発行することで利益を得る。
通貨の額面から発行費用を差し引いた金額である。
池尾教授によれば、この貨幣発行益が枯渇しつつあるという。

お札(日本銀行券)と国債買い入れオペで説明しよう。
日銀はお金を市中に流通させる役割を担っているが、日銀の金庫に入っているうちは貨幣発行益はまだ発生しない。
たとえるなら、紙切れの在庫にすぎないからだ。

これを市中銀行に引き渡したところで益が発生する。
異次元緩和の中心である国債買い入れオペにおいては、お札(本当は日銀当座預金残高)と国債を市中銀行と等価交換するわけだ。
時価1,000億円の国債を買い入れる場合、日銀は
 1,000億円の価値を持つ国債を手に入れ
 お札(実際は日銀当座預金残高)を代わりに渡す
ことで、差額の利益を得るのである。

ところが、この貨幣発行益が枯渇しつつある。
量的緩和の進展にしたがい、日銀による国債買い入れオペが札割れする事例が発生している。
市中銀行からすれば、国債を売却して現金を手にしても運用先はないし、ましてや手元の現預金として持つ理由もない。
ならば、すずめの涙でも利息のつく国債を持ち続けるのだ。
この現象を裏返せば、世の中の現預金への需要(貨幣需要)が飽和しているのである。
貨幣需要が増えなければ、もはや貨幣発行益が得られなくなる。

貨幣発行益の反転

池尾教授によれば、貨幣需要はゼロ金利の中、すでにGDP比で膨れに膨れているという。
ゼロ金利とデフレの中、家計や企業は投資に積極的ではなくなった。
投資すれば資産デフレで損をする。
ゼロ金利だから、貯蓄も固定性の高いものにするメリットが少ない。
タンス預金や普通預金にお金が滞留する。
こうして貨幣需要はすでにパンパンな状態だという。

恐ろしいのは、量的緩和の出口である。
金融政策の方向が変化すれば、パンパンに膨れた通貨が日銀に回帰してくることになる。
お札が日銀に戻ってきてしまうと、過去に享受した貨幣発行益を逆に返さなければいけなくなるのだ。
これは、緩和政策の出口における経済的損失の一要素となる。

日銀が買い支えれば国債は暴落しないという主張の限界

国債が暴落しそうになっても、どこまでも日銀が買えば大丈夫という議論について、池尾教授は明解かつ理論的に否定している。
先に述べたとおり、貨幣需要は飽和し、貨幣発行益は枯渇してきている。
そのような段階から、さらに日銀が国債を買い入れるにはどうすればいいか。
それは、対象とする国債の価値を上回るお札を対価として買い上げればいい。
(買い入れオペの条件を良くしてやる。)

これは、暴落しつつある国債を、その価値以上の価格で買い支えるということだ。
仮に下落が止まったとしても、お札と価値との差額分だけ日銀は損失を被ることになる。
国債の下落だけでも日銀のバランス・シートは酷い痛み方をするのに、それ以上の損失まで許容することにはなるまい。
とうてい、日本銀行券の信認を守ることができなくなる。
それを許せば、日本はまさにジンバブエと同じレベルに落ちてしまうだろう。

(さらに本書では、超過準備預金の付利について興味深く説明されているが、ここでは省略する。)

(2)で述べたとおり、池尾教授は今後、先進国で金融抑圧が不可欠となるだろうとしている。
その一方で

先進国の多くの政府が、金融抑圧なしに公的債務残高を維持・管理していくことが困難になっているとみられますが、不可欠だということは可能だということとは違うので、今後の事態の推移については、注意して見守っていく必要があります。

池尾教授は「なかなか成長しない経済を前にして、中央銀行自身がパーティーを盛り上げ」ている現状に懸念を示しているのだろう。

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