【書評】中央銀行: セントラルバンカーの経験した39年

日本ではデフレ・スパイラルが起こらなかった

「グローバル・スタンダード」という言葉は2%物価目標を支持する時の根拠の1つに使われる。
その「スタンダード」は大きな欠陥のある経済学によって形成されてきたものだ。
社会環境も潜在成長率も異なる中で、要となる目標数字だけ「スタンダード」を採用するのも妙な話だが、とにかくそういうことになっている。
仮に、その「スタンダード」が正しいとしても、私たちは主流派経済学の重要な真実さえ知らされていないかもしれない。

白川教授は「デフレ」という言葉が極めて広い意味に使われたことに混乱の一端があったと指摘する。
明確の定義の下の「デフレ」がいいのか悪いのかを議論するのではなく、なんとなく悪いことを集めて「デフレ」と呼び、だから《「デフレは悪」という命題は正しい》というような議論がなされていたのだ。
教授は2014年のドラギECB総裁によるデフレの基準を紹介している。

「広範囲の財・サービスの価格が下落することと、それが自己増殖的な物価下落をもたらすことの2点」

つまり、ドラギ総裁によれば、デフレの基準とは物価下落だけでなく、いわゆるデフレ・スパイラルが起こることにあるというのだ。
白川教授は在任中の経験を明かす。

「国際会議では日本のデフレはしばしば取り上げられたが、当時のFRB副議長のジャネット・イエレンをはじめ、海外の中央銀行の首脳からは、
『なぜ、日本はデフレスパイラルに陥っていないのか』
という質問をたびたび受けた。」

主流派経済学にしたがって政策運営している欧米の中央銀行は日本のディスインフレについて、ドラギ基準によって駆除すべき「デフレ」とは考えていなかった節があるのだ。

しょせん中央銀行家も学者も、他人事については軽口をたたくものだ。
日本についてコメントを求められれば、遠慮もあろうし、とりあえず「グローバル・スタンダード」に沿った示唆をすることが多いのだろう。
一方、自国経済を考える段になると真剣度は違ってくる。
格好の研究対象である日本経済について、真相を知りたいと尋ねてくるのだ。

外国かぶれの当局・エコノミスト

日本人の外国かぶれは最近始まったことではないが、経済の世界でもずいぶんとこの波が押し寄せている。
あたかも米国流の経済学が万物に有効であるかのように装い、都合のいい部分だけをオウム返しに伝えるまとめサイトのような政治家・エコノミストが増えた。
そうした人たちは、少し前までは物価水準目標まで持ち出して金融緩和継続を主張していたが、FRBが金融政策正常化に本腰を入れ出すと一気に黙った。
米国ではいまだに物価水準目標を主張する要人がいるから、日本のまとめエコノミストのふにゃふにゃ度が知れるというものだ。

フィナンシャル・ポインターで、海外とりわけ米国の情報を伝えている浜町SCIがこうしたことを言うと奇妙に聞こえるかもしれない。
しかし、重要なのは、中身のある賛否両論を呈示することにある。
自分に都合のいい話だけを伝えるのではいけない。
中身のある議論は、たとえ反対側の意見であっても排除すべきでない。
ハト派もタカ派も、ブル派もベア派も伝えるべきなのだ。

白川教授は、海外の知見に対する処し方について書いている。

金融政策も含め、経済政策の運営において他国の経験から学ぶことは多い。
自国は特殊だという思い込みは危険であるが、他国の経験から得た教訓を無批判的に受け入れることも不適切である。

現在の日銀が、こうした指摘から考えるべきことは何だろう。
欧米が金融政策正常化に動いているからと言って、「無批判的に」日銀が追随する必要はない。
大切なのは、他人のふるまいや過去の責任論などのしがらみにとらわれることなく、将来の日本の経済・社会にとって何が最善の道かを問うことだろう。

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