【書評】バランスシート不況下の世界経済

野村総研のリチャード・クー氏が昨年末に上梓した本。
バブル崩壊後の氏の言論の集大成とも言うべき本。

この本のキー・ワードは2つ: 「バランスシート不況」と「量的緩和の罠」だ。

  • バランスシート不況, balance sheet recession
    「借金でファイナンスされたバブルが全国的に発生し、崩壊した時にのみ発生する」まれな不況。
    民間セクターがデレバレッジのために借金を返済し貯蓄を増やすために、民間需要が減退し、不況に落ち込むこと。
  • 量的緩和の罠, QE trap
    いったん量的緩和策をとると、景気が回復しても、量的緩和縮小観測から長期金利が上昇して景気の腰を折り、量的緩和をやめられなくなること。

クー氏の主張はこうだ:

  • 量的緩和は出口でのコストが大きく、これ以上はやらない方がいい。
  • 財政政策と構造改革は肺炎と糖尿病を併発した患者に対する処置と似たようなもの。
    まず肺炎を処置(財政政策)しないと死んでしまう。
    糖尿病治療(構造改革)は実るまで時間がかかる。

まったくその通りだと思う。
と思いながら、それでも、また財政政策か、と思うのが日本人の大勢ではないか。
クー氏は過去の財政政策が小出しに過ぎたと指摘する。

クー氏は財政赤字を2つに分類し:

  • 政府の不手際で発生した財政赤字
  • 民間の不手際で発生した財政赤字(バランスシート不況下の財政赤字)

後者は許容されるべきと主張する。
後者の財政赤字は、民間需要が減少する中で、需要不足分を政府が肩代わりしたものだからである。
これもその通りだ。
しかし、それでも、その中身が最適だったか(バラマキはなかったか)との疑問は晴れない。

ところで、クー氏によれば、バランスシート不況下では、財政ファイナンスが許容されるという。
なぜなら、バランスシート不況下では民間の資金需要は停滞(貨幣乗数が限界的にマイナス)しているので、財政ファイナンスがインフレを引き起こすことはないためという。
貨幣乗数が限界的にマイナスであれば、資産買い入れによってベースマネーを供給しても、逆にマネーサプライは(限界的には)減少する。
つまり、大きなインフレ要因とはならないというわけだ。
一方で、金利は低下するから、量的緩和はフィスカル・スペース(=「つつがなく国債を発行でき、財政に余裕があるという意味」)を提供するという。

これは、現在、私たちが目にしているところである。
とは言え、クー氏が言うのは「バランスシート不況下」の話。
日本がこの不況を脱した瞬間、前提は180度変わりうることになる。

財政政策を重視するクー氏の主張は長く一貫したものだ。
そのロジックは説得力があるし、正当なものだと思う。
しかし、そう思っても、賛成できない人は多いのではないか。

クー氏は麻生副総理のブレーンとして知られる。
にもかかわらず、日本国内での注目度は高くない。
バブルをサポートしていた頃の方がはるかに人気者だった。
世の人気とは、世人の好みとあっているか、官僚の意向とあっているかに左右されるようだ。
今、財政拡大を主張するのは、世間受けはしない。

なぜかと言えば、やはり日本の財政問題は深刻だ。
いろんな理屈をつけて見た目ほどではないということはできても、やっぱり深刻だ。
財政拡大を主張するなら、その後に続く財政再建策もセットでないと無責任に見えてしまうのだ。
クー氏は「成長率を上げる大胆な政策が必要」と説くが、具体策になると元気がない。
結局のところ法人税減税が挙がってくる。
筆者は法人税減税に反対ではないが、諸手を挙げて賛成もできない

GDPの1-3月期の1次速報値は前期比1.5%増(年率換算5.9%増)だった。
思いのほか私たちが異次元緩和の出口を意識するのは早いかもしれない。
最後に、クー氏の異次元緩和出口についての考えを拾っておこう。
日本の2001-2006年の量的緩和が短期市場で行われたことと対照し

その後の米英と黒田総裁下の日本の量的緩和は長期債市場で実施されており、この政策から生還した事例は今のところ一つもないのである。

とする一方、出口ではハイパーインフレではなく「量的緩和の罠」が続く可能性の方が高いとしている。

長期金利は本来の水準よりずっと高いところを推移し、しかも民間はいつ長期金利がさらに急騰するかという恐怖のなかに怯え、その結果、景気もずっと本調子に戻れないという状況が続くことになる。

これが3年後の日本だろうか。