【書評】絶対こうなる!日本経済ここが正念場

ピケティの格差拡大

本書の中で面白い議論が一つあった。
竹中氏によるトマ・ピケティの「r > g」についての意見だ。
資本主義においては格差が必ず拡大するという、有名なピケティの主張についてである。
rを資本収益率、gを成長率とすると、過去の歴史において「r > g」の関係が成り立っていた。
換言すれば、rは資本家への分配、gは労働者(と企業)への分配だ。
「r > g」であれば、社会の格差は拡大する。

実は、この関係は歴史的事実によらずとも投資家にとってなじみ深いものだ。
資産価格評価の基本式を思い出していただきたい。
価格Pの式の分母には(r – g)が来る。
「r > g」でないと、価格(=経済的価値)が発散してしまう。
逆に言えば、価格が存在する資本主義社会においては(長期的には)「r > g」が成立していると示唆される。

r > gは持続可能か

この主張について竹中氏は「単純な議論は『すごく強い』」と語っている。
その上で、竹中氏が発した言葉が印象的なのだ。

資本収益率rが未来永劫ずっと所得成長率gより高く、両社がどんどん乖離していくとすれば、いつか資本分配率は100%に近づき、労働分配率は0%に近づくわけですね。
そんなことはありうるのか。
それはなくて、たぶんどこかで、ここが飽和状態だという瞬間が訪れるのではないか。

「飽和状態」・「瞬間」とはイマジネーションを掻き立てる表現ではないか。
では、何がその「瞬間」なのか。
竹中氏が語らない「瞬間」にはどんなものが考えられるのか。

格差解消プロセス

まず極論から言えば、革命だ。
労働者が怒り、革命を起こし、資本家の財産を奪い取る。
望ましいかどうかは別として、一つの解決法だ。

次に、「r≦g」となる可能性。
しかも、長期継続的にだ。
しかし、これは先に述べたとおり少々居心地が悪い。
資産価格の経済価値が計測できない資本主義が存在しうるのか。
全く別の社会制度が必要になるだろう。

いずれも極論だ。
間に何かないのか。
おそらくそれが富の再配分なのだろう。
「r>g」を許容した上で、rの方に重く税負担を課したらどうだろう。
あるいは、資産税を課してrの課税対象の一部を徴収し再配分に回したらどうだろう。

このように間を取るのが政治の役割だろう。
さもなくば、1つめの極論が現実味を帯びてくるはずだ。