【書評】河野龍太郎氏 『円安再生』

節度ある量的緩和から節操のない量的緩和に

2003年の『円安再生』を読む限り、BNPパリバの河野龍太郎氏はリフレ派の草分けの一人だったことがわかる。
一方、今の河野氏の立ち位置は民間におけるタカ派の急先鋒との印象がある。
この差は、氏の絶対的立ち位置でなく相対的立ち位置の変化にあるのだろう。
頑固者は動かず、世の中が想定以上に動いたのだ。

2003年当時、日銀は節度ある量的緩和を行っていた。
量的緩和が根源的に効果を持たないためか、あるいは、《節度》があったのがよくなかったためか、結果的にこの量的緩和で日本がデフレを脱することはなかった。
こうした金融政策の風景の中、河野氏はラジカルなリフレ論者であったのだ。
ところが、アベノミクス下の異次元緩和で、河野氏の表現は変化する。
早いうちからアベノミクスの金融・財政政策をマネタイゼーションと見破り、こう書いている。1)

マネタイゼーションよりましなデフレ脱却策はないのだろうか。
積極的な金融政策で時間稼ぎをしている間に、財政健全化策を打ち出し、潜在成長率を高めるために規制緩和を進める、という成長戦略シナリオも理論上は考えられる。

2003年には《マクロ政策は問題先送りではない》としていたが、2013年には財政政策だけでなく金融政策も「時間稼ぎ」と考えているように見える。
山は動かないが、山に水道を引こうとしている間に海水面が上昇し、山頂はいつの間にか離れ小島になってしまったのだろう。

ディマンド・サイドか、サプライ・サイドか

ディスインフレの原因についても似たような変化があるのではないか。
河野氏は2003年時点でディマンド・サイドが重要だったと書いた。
筆者はサプライ・サイドも重要だったと思うが、そうした重要性は時間の経過によって変化してきたはずだ。
異次元緩和による円安誘導によってデフレ・ギャップは急速に解消した。
これは外需というディマンド・サイドが回復した面が大きいが、デフレ・ギャップ解消後は逆にサプライ・サイドが制約となっている。
そして、最近の原油安・中国不安では、再びディマンド・サイドが問題とされつつある。

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