【書評】異次元緩和の終焉

法則の証明ではなく戦略

ここまで感想を述べたところで読者に問いたいのは、先述の野口氏の主張に納得できるかという点だ。
筆者は正直なところ首を捻った。
野口氏の用いたモデルは最も単純なモデルであり、少々現実からかけ離れている。
議論が少々純粋すぎるのだ。
どこかと言えば、インフレ期待の高まりが名目金利を上昇させるというくだりである。
現実世界ではこういうことは起こっていない。

そこで、モデルをあと一段現実に近づけよう。
それは、中央銀行がなりふり構わず名目金利をゼロ金利まで抑え込むという現実である。
こうなると、先述のインフレ・シナリオは大きく変化する。

(ビフォー)買い控えすると手元の資金は高金利で増えるものの、インフレが進むため、将来買える量はそう増えない。
(アフター)買い控えしてもゼロ金利のため手元の資金は増えず、インフレが進む分、将来買える量が減る。

おお、なんとリフレ派が言うとおりになったではないか。
つまり、リフレ派が主張していたのは《デフレが経済を停滞させた》という説明ではないのだ。
経済刺激のために金融抑圧を弄して円の保有者から購買力を奪おうという主張なのである。

忘れてはいけない議論

この評価は分かれる。
日本経済をなんとか回復させようとの思いからやっているのであろうから、やむなしとすべきかもしれない。
実際、訳の分かった日本人のほとんどはこうした思いで許容しているのだろう。
一方で、インフレ税とは立法も経ずに国民から富を奪う歪みの多い徴税法でもある。
裏口から盗みに入るような卑劣さを感じなくもない。

今のところ、世界のマジョリティの建前はデフレ悪者論であろう。
それだけに、こうしたイデオロギー的な葛藤を忘れてはいけない。
多くの人が手段と目的を区別しなくなっている。
デフレ退治が目的なのか、経済回復が目的なのか。
だから、今こそ純粋な議論をもう一度繰り返すべきなのだ。