【書評】日本銀行と政治 – 金融政策決定の軌跡

速水・福井両総裁の違い

2001年から2006年まで続いた量的緩和にかかわった速水優、福井俊彦両氏についての比較が鮮やかに描かれている。
本書の目玉の一つがここである。

  • 金融・経済政策について確固たる信念を持ち、それに忠実に日銀を運営しようとした速水氏。
    強い円は国益であるとするなど、政治・財界から強い反発を買い、プレッシャーを受け続ける中で量的緩和に踏み切る。
  • 実効性がないとわかっていても政治から求められれば施策を実行に移した福井氏。
    そうして日銀にフリーハンドを残しつつ、最後には政治の反対を押し切り量的緩和を解除した。

筆者は将来、白川前総裁と黒田総裁が対照される時代が来るように思う。

  • 弱体政権・政権交代などが続き、政治が不安定な中で重責を負わされた白川前総裁。
    実は日銀としては相当に踏み込んだ政策を実行したにもかかわらず、過激なリフレ派の仮想敵国とされた。
  • 当初からリフレ派政治家と二人三脚で自身の金融政策をスタートさせた黒田総裁。
    政策は功を奏したように見えたが、量的緩和と同時に進めなければいけないはずの財政再建に対する政治家の動きは鈍く・・・

史上最もかわいそうな中央銀行

1980年代終わりのバブル以降、日銀は一貫して非難の的となってきた。
少なくとも20世紀までは、日銀のやったことは金利の上げ下げにすぎない。
今世紀になって、政治の強い要望で量的緩和を行ってきた。
それなのに、悪者は日銀であった。

円高や経済停滞が日本社会の重大問題であったとするなら、その元凶を生み出したのは民間企業・産業・経営者であり、財政政策を担ってきた政府・議会であろう。
ところが、そういう最も罪深い人たちからも日銀は責任転嫁され、とがめられる。
挙句の果てに、金融政策ですべてが解決するかのような虚言を吐く人間まで現れる。
一度、そういう世の中になると、是正には時間がかかる。

米国でグリーンスパンが喝采を浴びていた時、筆者は米国にいた。
グリーンスパンを絶賛する人を見て、心の中で笑い飛ばしていた。
ところが、米国人にとっても何かがおかしいというのがコンセンサスとなるのは、リーマン危機後である。
10年以上もかかった。

日銀はかわいそうだが、心配ではない。
立派な識者が揃っている。
心配なのは、財政であり政治だ。
政治家は、国の利益を第一に考えているか?