【書評】日本経済「最後の選択」

逆景気弾力条項

こうした苦い経験を踏まえ、伊藤教授は「逆景気弾力条項」というルールを提唱している。
「景気弾力条項」は景気が悪かったらオートマチックに延期するものだった。
「逆景気弾力条項」とは、景気が良かったらオートマチックに増税するという具合だ。
本書は具体的なトリガーを想定し、過去の局面でどのように働いたかを検証している。
確かに、コンセプトとして有用なものであると思う。

一方で、市場と向き合ってきた者としては、やっかいなものとも感じられてしまう。
私は、このアイデアを読んだとき、すぐに転換社債をイメージした。

転換社債とは便利な調達手段だ。
株式のコール・オプション(ワラント)が付されているためにクーポンは低くてすむ(低利の調達)。
株価が上昇すればオプションが行使され、借金が消え自己資本に振り替わる。
株価上昇とは、業績が上がっているか、市場全体が上げ相場かのことが多い。
そうした時、発行済み株式総数の増加は大きな問題にならない。

ところが、そんないい話だけでもない。
問題は株価が上昇しない時。
業績が奮わないとか、市場環境が悪い時、転換は起こらず、借金が残る。
ひどく悪い場合、資金繰りに行き詰る。
こんな有価証券とのアナロジーが頭に浮かんだ。

トリガーが引かれない危険性

「逆景気弾力条項」も同じような問題を抱えてはいまいか。
つまり、トリガーが引かれない可能性だ。
本書はその点を十分に認識しているようで、トリガーが高い確率で引かれるように低いハードルが設定されている。
ところが、低いトリガーが問題を複雑にする。

転換社債の場合、高いトリガーを設定すると、オプションがFar out of moneyとなるため、オプションの価値が小さくなる。
結果、金利面のメリットが(普通社債)と比べてほとんど変わらなくなる。
クーポン面のメリットを取るためには、In the moneyに近い行使価格を設定する必要がある。
ところが、こうすることが株価に悪影響を及ぼす。
転換される可能性が高いと思えば、市場は希薄化をいやがり株価はさえない動きとなる。
悪影響は、転換で希薄化される度合いが大きいほど大きくなる。

ルールがトリガーに作用する

消費増税が景気に与える影響の大きさは、ついこの前経験したばかりだ。
「逆景気弾力条項」というオプションは、転換社債が株価を抑え込むのと同じように、経済を抑え込みかねない。
本書でなされた、過去を用いたシミュレーションには、当然ながらそうした効果が加味されていない。
増税という、一面において景気にマイナスに働く政策は、それ自体が前提とする条件を変化させてしまう。

ただ、心配するにはあたらない。
ここで長々と言った話は、ビルトイン・スタビライザーを語ったに過ぎない。
では、なぜ私がこういう話をしたかというと、「逆景気弾力条項」というような形式的・自動的なルールを設けてしまうと、私の仕事が増えるからだ。
主要な経済指標を変数としたオプション計算をしなければいけなくなる。
ああ、面倒くさい。
どうして、さっくり増税してくれなかったのだろう。

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