【輪郭】金融緩和懐疑派が追加緩和を議論し始めたワケ

景気拡大が長く続くにつれ、景気後退も近づいているのではないかとの警戒感が高まっていく。
景気後退入りの際に政府・中央銀行がとりうる政策を予想する人も増えたが、これまで追加緩和に懐疑的だった人たちまで輪に入り始めたのはなぜなのか。

同時進行でもう1つ疑問がある。
最近、高名な投資家が社会問題を論じることが多くなった。
レイ・ダリオ氏、ジェフリー・ガンドラック氏などを始めとして、多くの投資家が格差拡大やポピュリズムについて問題視する発言をしている。
従来は、投資家の多くはむしろ政治的信条を見せないようにすることが多かったように思うが、最近は様変わりだ。
もちろん、政治や金融政策が極端な状況に置かれているという背景もあろうが、それではやや雑すぎる理解だろう。

金融政策にスポットを当てると、多くの人が非伝統的金融政策・極端な金融緩和に対して危機感をもっているのだろう。
もちろん、危機対応としては有効だったのだが、その効果が今後払わなければならない不可知のコストと比べて十分に高かったのかどうか怪しい。
FRBは《量的緩和の罠》に陥りそうに見え、利上げも停止したことを考えれば、FRBは《金融緩和の罠》に陥ってしまったのかもしれない。
次の景気後退期もさらに罠に深く落ちていくしかないのか、不安視するのも当然だ。

金融緩和に懐疑的な人たちも、今、急激に緩和をやめられるとは思っていない。
そうすれば、少なくとも市場は大混乱に陥り、おそらく実体経済も道連れになるだろう。
そして、懐疑派が何より恐れているのは、二の轍を踏むことだ。

非伝統的金融政策は、何か問題があるから伝統とはなりえなかったやり方だ。
前回、懐疑派は理にかなった当たり前のことを言い続けた。
結果、どうなったか。
そこにポピュリストが忍び寄るのだ。
《私には国民が努力しなくても問題を解決するすごい政策がありますよ》と言って票を買うのだ。
その結果、日銀はもう6年の長期戦を強いられている。
1-2年ならば褒められたかもしれないが、この長さとなると人心も離れる。
かといって、日銀はもはや塹壕の中にこもって、防戦を続けるしかなかったのだ。

近い将来、日米の経済に景気後退が訪れた時、実効性のある政策は少ない。
FRBはいくらか利下げできるが、日銀はほとんどその余地がない。
いろいろ考えても、めざましく優れたツールなどあるはずがない。
あればとっくの昔にやっている。
しかし、だからと言って、再び何も提案がなければ、またまたポピュリストが現れるかもしれない。
今度はさらにエスカレートした《すごい政策》を持ってくるのだろう。
たとえば、真正のヘリコプター・マネーなどだろうか。

だから、心の中では金融政策はもう十分すぎると考えている懐疑派も、追加緩和の方策を与えなければならない。
効果が薄くても副作用がないツールを考え、政治家のおもちゃとして提供しなければいけない。

レイ・ダリオ氏は最近しばしば、次の景気後退期の政策対応について懸念を述べる。
あまり詳細な予想を語りはしないが、心配はよく理解できる。
不況の中で困窮した人たちが、好景気ならば犯さないような間違った判断を下すかもしれない。
そう考えると、緩和に懐疑的なエコノミストが追加緩和を模索し、いつもはノンポリな投資家が政治問題を心配する構図もすんなり理解できるのである。