【輪郭】MMTについての中間的総括

モダン・マネタリー・セオリー(MMT)に関する話は実りが少ないのであまり触れたくないのだが、ダラダラ議論するのもいやなので中間的な総括をメモしておきたい。
ポイントは、論点の混濁を避けるということに尽きる。

MMTの1つのメッセージ《自国通貨建て債務によって財政運営する政府は債務が増えても問題ない》については、米国において圧倒的に批判的意見が多く、実現する見込みは今のところゼロだ。
むしろ、日本の方が事実上実現しているようにも見え、心配される状況だ。
そして、MMTファンはむしろ日本の方が多い、あるいは声が大きいように感じる。

1つの理由は、リフレの是非の議論の時、リフレ派の一部が債務のマネタイズ(あるいはマネタリー・ファイナンス)を主張していたためかもしれない。
彼らは、自分たちのパッケージの根拠の1つにグローバル・スタンダードを挙げていたから、今の米国でのMMT批判に少しとまどっているのではないか。
ポール・クルーグマン教授をはじめとして、リフレを進めていたニューケインジアンのほとんどがMMTを批判している。

浜町SCIが運営するThe Financial PointerでもいくつかMMT関連の記事を取り上げた。
その中で極めて大きな反響のある記事がPIMCOによるコメントだった。
1か所キャッチーなセリフがあり、いつにない支持の反響があった半面、不同意の意見もあったのだ。

PIMCOはMMTのメッセージに対して否定的に書きつつもそこに込められた思いについては前向きに捉えようとしている。
もう少しかみ砕いて言うと、借金をいくら増やしても大丈夫とは言えないが、社会が財政政策に重心を増やす兆しであり、それはいいことなのではないか、と匂わしているのだ。
PIMCOのスタンスはかなりMMT論者に同情的なものであった。

このPIMCOのメッセージを取り上げたのはFPだけではない。
Citywireなども「PIMCOがMMT批判の輪に参加」と報じている。
しかし、PIMCOやそれを読んだFPと同様、少々歯切れの悪い記事になっている。
少し経ってPIMCOの張本人がPensions & Investmentsインタビューで

「(PIMCO)Fels氏は、MMTは理論上は『機能しうる』ものの、この考え方の実行において疑問があると語った。」

と話しているから、やはりPIMCOはMMTの実行はできないと考えているのだろう。
おそらく、この歯切れの悪い議論についてはPIMCOにも大きな反響があったのではないか。
PIMCOはビデオを作製し公表している。
Fels氏の語り出しはこうだ。

「このMMTについての話は、標準的な経済学の教科書と一緒に考えるとかなり奇妙に聞こえる。
しかし、私は、多くの主流派経済学者が言うほどにはナンセンスだとは思わない。」

ナンセンスはナンセンスだが全否定はしないよ、と言っているのだ。
同氏はMMT論者の主張を3つ挙げている:

  1. 金融政策でなく財政政策を用いよう
  2. 債務危機を恐れるな
  3. 雇用の保証と独占の分割

まさにこの3点こそ、MMTにかかわる論争が混濁している様を表している。
このうち1つ目と3つ目はMMTの議論ではない。
MMT論者が合わせて主張している論点である。
Fels氏はこの3つをパッケージで考えているがゆえに、歯切れの悪い議論に終始してしまうのだろう。
MMTを批判する人たちは2つ目を批判しているのであり、Fels氏の議論の仕方は論点をぼかしてしまっている。

ローレンス・サマーズ氏もまたMMTを批判する1人だ。
しかし、一方でインフラ支出や社会保障の整備も唱えている。
サマーズ氏は以前、財源がともなうならそれに越したことがないが、たとえ借金してでもやらなければいけないことがたくさんあると指摘した。
つまり、Fels氏の言う1つ目・3つ目の主張(民主党左派の主張)には一定の理解を示しているのだ。
その上で2点目のMMT特有の主張については「フリーランチは存在しない」と否定している。

この議論の総括として最もバランスが取れているのがロバート・シラー教授によるThe New York Timesでのコラムだ。
シラー教授も民主党左派の思いの部分には共感を示している。
しかし、それと経済理論の話は別と考えている。

「当座の間の債務増を正当化するような緊急の必要性もあるだろう。
しかし、これを認めるのに経済理論の革命は必要ない。
そして、それは無制限の歳出、不用意な債務の積み上げを許容するものではない。」