レイ・ダリオ:金額・財源の前に議論すべきこと

ブリッジウォーター・アソシエイツのレイ・ダリオ氏が、米債務上限問題に関連し、国々が直面する状況を解説している。

貨幣と債務には限度がないので、何にいくら使うかを決める人たちは、いくらお金を使うべきかに目を向けることも、そして何に使うべきかを優先づけることもしない。
そのかわり、いくら使いたいか、そして財源を増税(人々は自分のお金を守るため抵抗するので困難)とするか債務発行とするかを決め、債務の場合は、買いたがる貸し手・債権者に売るか、貨幣増発により買う中央銀行に売るかを決めないといけない。

ダリオ氏が25日、自身のSNSで冷静な観察を披露している。
同氏は中央銀行を複数形で記しており、これが多くの国に当てはまる状況だと考えているようだ。

米国では19日、連邦債務が31.4兆ドルの上限に達した。
再び債務上限引き上げが政府・議会の間で交渉されることになる。
一歩間違えれば連邦債務のデフォルトとなりかねないだけに、毎度お祭り騒ぎが繰り返されてきた。

ダリオ氏はクールに言い切る。

「私たちは皆、実際には債務上限などないことを知っている・・・」

みんな債務上限がギリギリのところで何らかの形で引き上げられることを知っている。
ダリオ氏は債務上限にかかわる交渉が「79回目のfarcical negotiation(茶番)」であると斬って捨てる。

日本の場合、債務上限という明確な限度は定まっていない。
債務拡大を押しとどめるのは少数(?)の財政再建派と財務省の役割になっている。
そして、これらの人たちが頑張るたびに、彼らの陰謀論が声高に語られる。
全く何も陰謀がないかどうかはわからないが、とにかくそれが彼らの仕事なのだから少々気の毒だ。

アベノミクスでは、初年度こそ財政拡張と言える変化があったが、その後は財政政策はあまり噴かされていない。
しかし、コロナ後はそのタガが完全に外れたように見える。
民間で所得が不足すれば、それを政府が補うのが当たり前かのような論調が増えた。
もちろん、生存を脅かされるような危機では無条件に支援をするのは当然だが、本当にそうなっているのか。
偏ったお金のバラまき方になっていないか、不必要なところにまかれていないか。
予備費という、民意を反映したといえるか疑いたくなるお財布があまりにも膨張している。
常時に戻れば、精緻に検証が必要だ。

防衛費についてもしかり。
本来まず行うべきは「いくらお金を使うべきか」「何に使うべきか」であるはずなのに、財源の話が先走る。
増税はけしからんという議論だ。

ダリオ氏が示してきた歴史観では、世界の超長期サイクルの終期において国際的対立が高まり、債務がピークに達するという。
(弊社著『超長期サイクルが終わる時 フィナンシャルポインター流 投資家研究』をご覧ください。)
金融・財政刺激策が行けるところまで行き着き、経済が行き詰まり、国際関係が悪化し、それが覇権国家争いまで助長するといった感じだ。
振り返って見れば当たり前のような指摘だが、同氏はかなり前から言ってきたのだから、これまでのところかなり状況をうまく説明できているように思える。

日本が忘れてはいけないのは、日本が第2次世界大戦に突入する原動力の1つがヘリコプターマネーの活用にあった点だ。
高橋是清が始めたヘリコプターマネーは、当初はヘリコプターマネーではなかった。
日銀は国債を引き受けるが、それを徐々に市中で売却するというスキームだった。
いわば、日銀はその卓越した地位・機能を用いて特殊な引受人を務めたようなものだ。
しかし、このスキームはどんどん崩壊していく。
軍費を賄うために、どんどん国債が増発され、売りオペが困難となり、日銀は大量の国債を抱え込んだ。
ヘリコプターマネーは軍国主義勢力にとって格好のツールとなっていたのだ。
(よく知られるように、ブレーキをかけようとした高橋是清は2.26事件で暗殺された。)

防衛費拡大に反対すべきとか、増税すべきと主張するつもりはない。
(むしろ必要な防衛費拡大や緊急時のヘリコプターマネーには賛成だ。)
ただ、理解しなければいけないのは、増税に反対することが、多くの人が想定していないかもしれない軍拡に結び付きかねないということだ。
いや、そこまで言うまい。
財源の一部を増税とすることは、国民に考える機会を与えるかもしれないということだ。

防衛費拡大についていうなら、大切なのは「いくらお金を使うべきか」「何に使うべきか」だ。
財源より先にそちらを国民に問うのが筋であろう。

では、筋が通された次に来るのは何だろう。
ダリオ氏はここでも人々が本質を見ていない可能性を指摘する。

「ほとんどの人は、債務上限が債務デフォルトの引き金を引くことはないと安心し、債務漬け継続を心配していない。」

ダリオ氏は「危機がこの力学を終わらせるまで」債務漬けが続くと述べている。
安きに流れがちな社会を諦観しているのだろう。
同氏は、心配派が抱く2つの疑問を列挙している:

  • 債務上限を回避する(つまり上限を引き上げる)ことは良いことか、悪いことか?
  • 莫大な債務と発行にリスクはないか?

いわゆる債券自警団が問題視してきた論点だ。
もちろん、誰もミンスキー・モーメントを正確に予測などできない。
ダリオ氏もそれは重々承知の上なのだ。

これらは合理的な疑問だろう。
だって、私たちは数十年、債務アルマゲドンの警告を聞いてきたが、まだどれも実現していないのだから。

ほとんどの人にとって、昨今のFRBのタカ派転換はその程度において驚きだったろう。
これは、将来のシナリオを読みにくくした。
大幅な利上げをしたことで、次の景気停滞期の政策上のマージンが生まれたからだ。
さらに、金利上昇は政府に対し財政再建のモチベーションを与える。

仮に、金融・財政政策といった経済安定化政策が伸び切った中で経済が悪化したらどうなるか。
これが1つの「アルマゲドン」だったかもしれない。
しかし、米国では、少なくとも金融政策について伸び切った状況とは言えず、緩和余地を広げている。
(日本は米国と比べてどうだろう。)
いつかは「アルマゲドン」が来るのかもしれないが、そのタイミングは少し遠のいたのかもしれない。
逆に言うなら、投資家の悩みはさらに長く続くことになるのかもしれない。